みなさん、こんにちは!
田中れいかです。
今年も、聖徳大学におじゃますることができました◎
講義名は「こども家庭福祉論」。
一緒に来てくれたのは、希咲未來ちゃん!
講義を終えて、たっぷりおしゃべりして、いま帰りの電車の中でこのブログを書いています。
もう、なんというか…「安心」「脱力」。この言葉が、今の私にいちばんしっくりきています。

というのも、実は訳あって、久しぶりの講義でした。
これまでよりも、少しゆっくり話して。
これまでよりも、丁寧に言葉を選んで。
これまでよりも、学生さんの顔をちゃんと見ながら話していたらあっという間に30分!(驚)
「やばい、未來ちゃんのパートがぁ…!」と心の中で焦りつつも、この「ゆっくり話す」感じが、今のわたしにちょうどよくて。自然体でいられた気がしています。

たぶん、気づいていた方もいるかもしれませんが、これまでのわたしはどこかで、「かっこよく見せたい」とか、「知識があるように話さなきゃ」とか、そんな風にふるまっていたのかもしれません。
そのことが、無意識のうちに、相手を置いてけぼりにしていたこともあったかもしれないなぁと。
でも今日は、ゆっくり話すことで、学生さんの反応をちゃんと感じながら言葉を選ぶことができた気がします。それが、なんだかすごくあたらしい感覚でした。
ああ、「伝える」って、こういうことだったのかなぁって。
……なんて、たぶんこの「こういうこと」は、読んでくださってるみなさんにはきっと伝わってないと思いますが(笑)
なんせ、講義おわりで脳みそ停止モードなので、わかりにくい表現ですみません(汗)

講義の冒頭では、須田さんが「僕は当事者の話を聞くことが大切だと思っています」と話してくださいました。
それを聞いて、わたしも思わずうなずいてしまいました。
なぜなら、数は多くないかもしれないけれど、わたし自身も、そんな姿勢を大切にしてきたつもりだからです。
たとえば、施設に足を運んで、職員さんの話を聞いたり、こどもたちとゆっくりお喋りしたり。行政の会議でも、ヒアリングというかたちで、施設にいるこどもたちの声を聞いてきたこともあります。
こうして少し振り返ってみるだけでも、100人、150人…もしかしたらそれ以上の人たちと出会い、それぞれの「人生の種」にふれる機会をいただいてきました。
さらにいえば、その場に関わる大人たちや支援者の数も合わせれば、300人、600人といった数になるかもしれません。
一つひとつの出会いは小さな点かもしれないけれど、話を聞くことでしかわからない実態…
いやいや、話を聞いても聞いてもわからない難しさが「当事者の話」にはたくさんあると思うのです。
だからこそ、須田さんがいう「当事者の話を聞く」という姿勢や行為は、とっても大切だと思うのです。

今回の講義は、いつも通りの「社会的養護を知る」というテーマで行いましたが、その奥にはもうひとつの大切なミッションがあったように思います。それは、「聴く姿勢を養う」こと。
それくらい、「聴く」という行為は、じつは難しいのです。
(このあたりの話は、またいつかじっくりと…笑)
表面的には制度や仕組みを知る授業でも、わたしが大事にしたかったのは、「話してくれた人に、感想や受け取ったことをちゃんと返してみる」こと。
つまり、聴く側のみなさんが、レポートというかたちで応答する練習をすることです。
それが、わたしが考える「当事者発信を保障する」ということ。
話すだけで終わらせない、聞きっぱなしにしない。
話してくれた人と聞いてくれた人とのコミュニケーションを90分という限られた時間で行う。
それが、当事者の声に対する、ひとつのまなざしのつくり方だと思うのです。
久しぶりの講義&ブログで、ちょっぴり熱が入りすぎたかもしれませんが、話す側も、聴く側も、同じ若い世代だからこそできる「保障のかたち」があると、最近は強く感じています。

未來ちゃんもね、話を聞けばわかりますが、明るくまっすぐ経験を教えてくれるので、社会的養護という遠い世界が、ちょっとは身近になってくれたかなぁとも思います。これも、同年代だからこその「保障のかたち」。
こういう連鎖を、これからも大切にしたいなぁと思ったのでした。
と、ここまで書いていたら「つぎは、大宮駅〜」とアナウンスが流れてきました。おうちに帰ってもたぶん何もできない脳みそなので、今日はここらへんで…!
今日は未来の保育士さんのために、じぶんの経験をシェアしてくれた未來ちゃん、本当にありがとう^^
また次回もよろしくねっ!